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備後絣音頭をつなぐ会

掲載日:2020年10月1日
―ふるさとの宝である備後絣音頭をその思いと共に正しく継承し 備後絣音頭と備後絣でふるさとに誇りをもつ子どもたちを育む―

まず始めに備後絣について触れなければなりません。
現在の福山市芦田町の富田久三郎が江戸末期弘化元年(1844年)に絣の研究を始めます。 文久元年(1861年)に文久絣として完成。明治元年(1868年)に大阪への出荷にあたり「備後絣」と命名されます。同時期、久留米絣・伊予絣が誕生し、のちに日本三大絣と呼ばれるようになります。その後紆余曲折ありますが、昭和35年(1960年)330万反の生産を誇り、全国シェアの7割に達し、製造業者250社関連業者1000社という隆盛の時期を迎えます。
その後絣産業は衰退していく訳ですが・・・。そこが備後商人の底力というか、したたかさというか、繊維ではデニム、ワーキングへと転換を図り、織機製造の経験を活かして機械メーカーとして発展を遂げる企業があらわれ、染料メーカーからも成功を収める会社が生まれるわけです。その代表的なものが、カイハラであり、シギヤであり日本火薬であります。

そんな背景の中、この地域に生まれ育ったものには「備後絣」は心のふるさととして輝きをもって生きています。また備後絣産業の更なる発展を願って作詞木下夕爾、作曲鈴木けんご、振付若柳世舟によって作られた「備後絣音頭」についても同様の愛着と誇りを持っています。私たちはこのふるさとの宝をその誕生の思いと共に正しく継承していこうというのが私たちの活動です。そうした歴史・文化を次にふるさとを担う地域の子どもたちに伝え、ふるさとに誇りを持つ心を育んでやりたいと思っています。

子どもたちにはまず「備後絣音頭」という踊りを通して歴史・文化に親しんでもらっています。現在中学校2校、小学校5校が運動会で地域の人たちと一緒に踊るようになりました。また、小学校では総合的な学習の授業で備後絣という地域の伝統産業を学ぶ時間があるので協力をしています。保育所に対しては、踊りを通してのふれあい活動も行っていますが、その時にはマスコット「かすりん」が運動会や地域の祭りと同様に大活躍しています。
幼い子どもたちには何かわからないけどまわりのおじさん、おばさんたちが備後絣音頭備後絣音頭と熱くがんばっているなと漠然と感じてくれているだけでいいと思っています。いつか花が咲くと・・・
またキラキラ子ども民謡教室を主催し、土曜日に小学校の余裕教室で三味線・太鼓の稽古をし、備後絣音頭の伴奏ができるようになって「備後ふくやま伝統産業展」「備後絣の創始者富田久三郎翁慰霊・顕彰の催し」「芸能祭」などのイベントに出演し、披露しています。この教室が発展して、学校のクラブ活動に採用されているのもうれしいことです。

7年の活動の中では、備後絣ふるさとマップ作り、絣のファッションショー、また「絣の里」という備後絣の誕生をテーマにした音楽劇を、子どもたちを参加させて私たちが演じて披露した際には500名の観客に喜んでいただきました。
数年前より私たちが提案して52回の歴史を持つ地元の駅伝大会に「絣とデニムの里えきでん」というタイトルをつけていただき、選手には備後絣で作った襷をつないで走ってもらい、役員・スタッフには絣とデニムを組み合わせた法被とデニムの帽子で沿道に立っていただきました。中学・高校生を含め50チーム以上の参加する大会なのでふるさとを再認識するいい機会になったと思います。
会の結成と同時に始めた出前講座もコミュニティーづくりにも役立ててもらおうと地道に続けています。
100人規模で踊る備後吉備津神社市立大祭、素盞嗚神社祇園大祭、備後国府まつりでも盛大に踊られ、子どもたちの参加も増え、祭りにはなくてはならないものとなっています。
組織も踊りの継承と指導者の育成を行う「つなぎびと」に加え、踊りを通して地域住民とのパイプ役となっていただく「踊り人」備後絣の歴史・文化を含め残すべき地域の歴史を語り伝えることを担っていただく「語りびと」という組織ができましたので、活動はより充実したものになると思います。
このような様々な活動を通して、地域の子どもたちにもそして」その親の世代にも「自分たちのふるさとはこんなにすばらしいんだよ。」と外に向かって自慢できるようなふるさとにしたいと思っています。

[お問い合わせ] 
備後絣音頭をつなぐ会 090-3376-1403 (事務局長 高橋哲夫)

地域の方々と運動会で踊る「備後絣音頭」 キラキラ三味線教室の子どもたちの伴奏や 「かすりん」と共に


キラキラ子ども三味線教室


100人規模の素盞嗚神社祇園大祭奉納踊り