和太鼓でふるさとの魅力をPR! 掲載日:2008年2月1日
広島県では、毎年、地域交流の推進や文化の振興等に功績があった個人や団体に広島県地域文化功労者表彰を贈っています。
今回は、今年度受賞された方の中から、三次太鼓育成会について、会長 天野英樹さんとリーダーの栗本清秀さんを三次市にお訪ねし、これまでの活動等のお話を伺いました。
◎広島県地域文化功労者表彰の受賞、おめでとうございます。
天野:ありがとうございます。和太鼓演奏を通じて三次市をPRするとともに、青少年育成にも力を入れてきた功績ということで、地道に活動してきた成果が認められた結果だと思っています。活動10年目には(財)ひろしま文化振興財団から広島文化賞をいただき、33年目に今回表彰いただき、皆大変喜んでいます。
◎三次太鼓育成会が誕生したいきさつを教えて下さい。
天野:今や県北の最大級のイベントとなった「三次きんさい祭」の誕生がきっかけでした。
まず、祭が始まった理由ですが、昭和47(1972)年、三次市では大水害に見舞われて、活気を失っていました。そこで、元気をなくした市民を元気付けよう、という盛り上がりがありました。さらに、中国縦貫自動車道が開通するということで、通り過ぎるだけの町にならないように町おこしをしよう、という機運が高まっていたこともありました。皆に親しまれ、また山間地域の魅力を発揮できるイベントを、ということで、「三次きんさい祭」が昭和51年(1976)年に始まりました。そしてこの祭には、古い文化も大事にしよう、そして新しい文化も創造しよう、という目的もあり、この新しい文化の中核として三次太鼓育成会が誕生しました。祭は、太鼓のリズムを合図に始まるというイメージもありましたから(笑)。
◎どのような曲を演奏されるのですか。
天野:代表的な曲は『三次太鼓』です。三次盆地の四季を彩る山・川・霧・桜などをイメージしたリズムを、緩急つけて織り込んだ太鼓組曲です。その他、数曲を持っています。
設立3年後に、三次きんさい祭に、多くの人がより一層参加できるようにと、練り込み囃子『三次どんちゃん』が生まれ、このお囃子を演奏し、祭とどんちゃんの普及活動にも貢献してきました。この『三次どんちゃん』は、太鼓、鉦、篠笛、踊りで構成されたハイビートな曲で、祭ではこれにのって大パレードが行われます。
栗本:三次太鼓』はリズムが本当に多彩な曲です。7つのセクションで構成された曲なので、覚えるのが大変(笑)。演奏前に時間があれば、曲の説明をして、例えば、三次の夏の風物詩である鵜飼のセクションであれば、その風情を感じてもらうようにしています。演奏を聴いてくださる方に少しでも曲想が伝われば、と思っています。演奏が始まれば太鼓の皮にむかい、一打一打に気持ちを込めて打つことを心がけています。
◎活動を始められて33年、公演数は1000回近くだそうですが、これまで続けてこられた理由は何でしょうか。
天野:とても恵まれていたと思います。新しい文化として受け入れてもらえた、ということが大きい。練習だけでは、ここまで続けてはこられなかった。出演の場を設けてもらい、人前で演奏することで己の実力を知り、反省し、次につなげていくことができました。本当に感謝しています。
練習場も市内の老人ホームのご好意で園内のホールを提供していただいています。
また、太鼓の練習・演奏会に時間が割けるメンバーにも恵まれました。昔は仕事は二の次、まず太鼓(笑)。太鼓と仕事のバランスが取れれば良いのですが、今の時代ではなかなかそうはいかない。
栗本:我々には和太鼓演奏以外にも『三次どんちゃん』の推進という使命があります。『三次どんちゃん』の演奏は、他の団体の方や、市民の皆様と一緒に触れ合いながら活動する機会が多く、そのつながりで地元でかわいがっていただけたものと思います。また、この『三次どんちゃん』を小中高等学校に行って指導することもあります。特に最近、学校教育の場でも地域の伝統文化に対して関心が高まっているようです。
◎活動を続ける上で大変だと思うことは何ですか。
栗本:メンバーをどう引張っていくかでしょうか。コミュニケーションをしっかりとることが大切だと思います。大変なことも多いけれど、喜びもたくさんあります。
中学生、高校生のメンバーがいますが、最初は引っ込み思案だった子どもが、だんだん生き生きとしてきて、学校でも活発になっていく姿を見ていると、本当に嬉しい。一人ではないんだ、仲間がいるんだ、と太鼓演奏を通じて強くなっていくんですね。自分たちは特別何かしたというわけではないんです。何かに取り組み、形が出来上がって、皆と充実感を味わうということは大事なことだと実感しています。
三次きんさい祭には、その子どもたちが友達を誘ってパレードに参加してくれるんですよ。1ヵ月半ほど一緒に『三次どんちゃん』を練習して参加するんですが、それもまた嬉しいみたいです。
◎県外でも演奏されていますが、何か心がけていることはありますか。
天野:かつて他県で演奏した時、「私の故郷の太鼓だ」と言って、太鼓を抱きしめた女性がいました。県外での演奏会の目的は、三次市の素晴らしいところを紹介して、多くの人に三次市に足を運んでもらうきっかけ作りの側面もありますが、三次市民もがんばっているぞ、という姿を見せる場でもあると思っています。私は、太鼓演奏に赴くことを「三次からの便り」と言っています。三次の空気を一緒に持っていく、という意味を込めています。三次の空気を感じながら、太鼓を聞いてもらって、もしその場に三次出身者がいるならば「私は広島県三次市の出身」と胸を張って言えるように、郷土に誇りを持って欲しいと思っています。
栗本:これまでハワイ、台湾でも演奏しました。聞いてくださる方のノリが良くて楽しんで演奏できました。
◎今後の抱負についてお聞かせください。
天野:これからは、メンバーの確保が課題になると思います。できる限り、いろいろな場所で演奏して、見ていただく、聞いていただくことを通し、三次太鼓育成会の魅力を存分に発揮し、課題を解決していきたいと思っています。
また、三次きんさい祭も、かつての勢いがなくなってきていると感じています。社会情勢が如実に反映される面があり、積極的に参加できない企業も出ています。仕方がないのか、と思う反面、「ここで生まれた祭」「ここで生まれた太鼓」を「絶やしたくない、負けたくない」と強く思う。三次どんちゃんを聞いて育ち、血肉となっている市民がいる限り、絶えることはないと信じてこれからもがんばっていきたい、と思っています。
本日はありがとうございました。今後ますますのご活躍をお祈りしております。 |
|
|