市民の音楽 掲載日:2008年9月3日
音楽家として幅広い活動を展開されている松本憲治氏に、“市民の音楽”ということをテーマに、お話を伺わせていただきました。
氏は、作・編曲家として多様なジャンルの作品を持たれるほか、音楽・舞台芸術イベントの構成・演出やコーディネーターを数々手がけられ、合唱指揮、音楽評論等でも活躍されています。2005年には、地域文化の向上、普及に対する長年のご功績により、広島文化賞を受賞されました。
氏の多岐に渡る活動は、音楽(芸術)は、芸術家・専門家・研究者・愛好者など一部の人たちだけのものではなく、すべての人々の精神性を深め、豊かにするものという信念に根ざされているようです。
◆よくクラシックのコンサートは敷居が高いという声を聞きます。なぜ、多くの日本人にとって西洋音楽、特にクラシックは敷居が高いのだと思われますか。
松本:一因としては、教養主義に陥ってしまったということがあると思います。明治以後の文教政策で、それまでの邦楽の音階(5音階)をやめて西洋音楽の音階(7音階)を導入しました。西洋音階は普遍性を持ち、当時の日本人は一様に憧れを抱いていましたので、それはそれで悪いことではなかった。しかし、それまで馴染んだものとは異質なものだから勉強しなければならない。輸入したものだからよそよそしさもある。つまり、ベートーベンについて知っているかというように、音楽が知識になってしまった。教養を測られてしまうようで、純粋に楽しめなくなったということがあろうかと思います。日本人は世界中で一番ドレミのわかる国民になりましたが、反面、“情感”が二の次にされたような気がします。そのため、“情感”だけで作られる曲(ポピュリズム)にドッと流れてしまったのではないでしょうか。
◆音楽芸術をもっと気軽に楽しむためのアドバイスはありますか。
松本:楽譜なんてわからなくても、ただ音楽を聴けばいいんですよね。また、コンサートなどに足を運ばれると、皆さんつい批評しなければならないという気持ちになられるようで…、しかも、マイナス面を指摘することが、いわゆる“通”ではないかというような妙なムードもあって。観客は審査員ではないのですから、何も話す必要はないと思うのです。私は、よく他人に、コンサートを聴いたら、感想など何も話さず、自分の中だけで一人余韻を楽しめばいいと言っています。
また、音楽芸術を単なる教養としてではなく、真に享受するためには、基本を共有することが重要です。そのためには、学校教育だけではなく家庭での習慣も重要で、ヨーロッパでは家庭の音楽(市民の音楽)という言葉があります。教会のミサやパーティー等でよく歌われたり、演奏されたりしますが、そのために両親から教わる。これは上手い下手ではなく、練習すること自体が楽しい。人に聴かせるためではなく、自分たちが楽しむための音楽なのです。3度の基本的な食事を取るように、ごく自然に音楽芸術にふれられるような風土づくりも重要だと思います。勿論、厳しい批評を受けながら技術を高めるような、言わば専門家の領域も必要だとは思いますが。
◆制作される側として、音楽芸術の魅力をより多くの方々に楽しんでいただくために心がけていらっしゃることはありますか。
松本:演奏家・スタッフ・観客、これら3者の調和をとるということです。演奏家主体になると音楽性の高いコンサートになりますが、お客さんがついてこられない、楽しめない。お客さんに分かることだけをやっていると演奏家が楽しめない。ですから、これら3者の調和をいかにとるかが自分の仕事だと思っています。その調和ですが、私がよくやるのは、観客がホッとする曲(知っている曲)を7割、観客が一度も聴いたことがないけれども“へぇ〜”と思えるような曲を2割、残り1割で、演奏家も楽しめるような、また自分自身もやりたいと思うような冒険をするということです。
◆今年の11月8日(土)には、ホールではなく、市場でコンサートをされるとお聞きしました。ホールを出ることで音楽芸術がもっと身近なものになるでしょうか。
松本:芸能は、元々、街角から発祥したものなんです。近代以前はホールや美術館などなかった。近現代に出現したそれらは、普遍性や公平性を有し、演奏家や観客に演奏しやすい、鑑賞しやすい環境を与えました。しかし、ある意味で選ばれた者の場としてしまったという側面もあろうかと思います。ですから、ホールを出ることで、特定の愛好者だけではなく、極端に言えば通りすがりの人に至るまで、色々な人に見ていただけるのではないかと思っています。また、今度、コンサートを実施する場所は、広島駅前市場(通称Cブロック地区、愛友市場・ふれあい工房付近)ですが、「市(いち)」というのは経済や芸能の発祥の地でした。そこでコンサートを実施することで、舞台芸術の原点に立ち返り、既成の芸術に対する刺激にもなればと考えてします。
◆どのようなコンサートをされるのでしょうか。
松本:現代音楽と映像、そしてコンテンポラリーダンスのコラボレーションです。音楽では、電子音楽や即興演奏などで活躍する若手の実力ある音楽家に出演してもらいます。タイトルは、「アートコラボレーション08年/秋 廣島・Hiroshima…、記憶の光」。広島駅前市場も再開発されると聞いていますが、「市(いち)」は都市発生の原初的な場です。広島の誇りとして、皆の記憶に留めてほしいという願いを込めています。
※ 「現代音楽」とは、例えば、「新しい音色=聞いたことのない音響」「新しい奏法=いままでにない音の出し方」を探る音楽。つまり、実生活で消費される商業的音楽(伝統的クラシック、ポップス)とは異なる「実験的、先駆的音楽」。
◆市場で現代音楽(現代芸術表現)ですか。
松本:伝統的な芸術表現(商業的表現)が、ある意味で調和の確認であるのに対して、現代芸術表現は精神の不安や奥深さといったものを直視した表現であるため、「好き、嫌い」はあるにしても、膠着した精神に揺さぶり、刺激を与えるということがあろうかと思います。刺激やきしみのようなものがないと、人間の精神の深みまで到達できないんですね。決まりきったものを崩した時に、新しい人間の感受性が生まれるのではないかと思うんです。現在、残念ですが、広島駅前市場はかつてのような賑わいをなくしています。本来、市場というのは、多種多様な人間が自然に集まって物を売買する、ある意味で自由な空間でした。色々な人間が来て、賑っていれば、人々に開放感や刺激を与えた場所なんですね。ですから、なぜ市場で現代芸術表現かというご質問についてですが、駅前市場(通称Cブロック地区)でも再開発が始まるということですので、既成のものではない、実験的な現代芸術表現をあえて行うことで、足を運んでくださった方々に、あの場でしか味わえない開放感や刺激を再び感じていただき、それを永く記憶に留めていただきたいということ。そして、“まち”の本来の姿について、広島の皆さんにもう一度考えてほしいということがあります。訳の分らないことをやる人たちがやって来て、訳の分らないことをやれる“まち”というのは、人々に精神の自由や開放感を与えてくれます。私自身は、広島が、そんなホッとできる“まち”であってほしいと思っていますが…。
ありがとうございました。
広島駅前市場でのコンサート、楽しみです。
常に進化し続ける松本憲治氏。今後の更なるご活躍を祈念しております。
※広島駅前市場でのコンサートの詳細
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写真:泉山朗土
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