お二人目は、米丸嘉一さん(三次市在住)をご紹介します。
米丸さんは、三次市を中心とした広島県北部地域で、歴史調査や研究・執筆活動等を通して三次史の普及に努めながら、三次市民の生涯学習の推進等に貢献しておられます。
◆ひろしま文化功労者表彰の受賞 おめでとうございます。
ありがとうございます。このような賞は私ひとりの努力によるものではなく、多くの方々の支持、支援の賜と思っております。昨年12月には三次地方史研究会主催による祝賀会を、会員や三次市教育委員会、同好の士らによって盛大に祝っていただきました。
◆これまでの活動を通して得られた、印象的なエピソードがありましたらお聞かせください。
幕末の長州藩の活動家・高杉晋作、その高杉家のルーツが意外にも高杉町(三次市)だったということです。
高杉家は戦国時代の初めには武田氏と称し、高杉村の城主で、城内にある神社の神主を兼ね「祝氏(ほうりし)」とも言いました。毛利氏との戦いに敗れ、城主と長男・次男は討死、三男・四男は毛利氏に味方したのですが、四男は神主を安堵され、三男は関ヶ原の戦後に萩(山口県萩市)へ移り、後に故郷を懐かしんで「高杉」と改姓。江戸中期に藩庁へ提出した書類には『(先祖は)備後国三谷郡高杉村に住し故に高杉と称す』〔山口県立文書館〕としています。
◆今後期待される三次地方の魅力について教えてください。
私は近頃、三次地方の古墳に新たな興味・関心を抱くようになったのですが、それは甲立(こうたち)古墳(安芸高田市)の発見(2008年〜2013年調査完了)があったからです。
甲立古墳は、広島県下最大級規模の前方後円墳で、埴輪も全国に誇れるものです。そして何よりも、西暦300年代後半という前期(4世紀)の古墳なのです。
三次地方には県下の3分の1に相当する約3,000の古墳が存在していますが、全て中期(5世紀)以降のものです。これは大和政権の力が三次地方には及んでいなかったことによると説明されてきました。しかし、甲立は江の川(ごうのかわ・・・広島県〜島根県を流れる中国地方最大の川)水系で三次よりも約20km南の地点にあります。そこで、“三次にも巨大な前期古墳があるのではないか”と三次地方の古墳発見へ新たな注目が集まり始めており、今後、三次地方の新たな魅力となっていくと思っています。
◆現在取り組んでおられることは?
「草津牡蠣と三次藩」について、「三江線(さんこうせん・・・島根県江津市・江津駅から三次市・三次駅に至る鉄道路線)の歴史的位置」について取り組んでいます。
前者については、今日の牡蠣の名声、その発展の契機が江戸時代の前半、草津(広島市西区)が三次藩の飛領地(大名の城付きの領地に対して遠隔地に分散している領地)であった時代の奨励策にあったということを受け、三次藩の奨励策の背景を知るべく『広島県史』や『新修広島市』などを読み直しています。
後者については、全線開通まで50年もの時間を要し、その49年後、なぜ今になって廃線論議となるのか・・・常に時代の波に翻弄され続けたこのローカル線の歴史を探っています。
ありがとうございました。
執筆された書籍や資料について、いくつか挙げていただきましたのでご紹介します。是非、手に取って三次地方の歴史に触れてみてはいかがでしょうか!
【書籍】
2009年『討入は瑤泉院のお金で』−瑤泉院阿久利姫の生涯、 2014年『芸備線百年』 ⇒広島県立図書館など
1998年『ものがたり三次の歴史』、 2007年『みよし街並み歴史散歩』 ⇒三次市内の書店
【レポート】
2013年 三次地方史研究会機関誌91号「安政地震と広島・備北」
【随想】
2013年9月 中国新聞:緑地帯 8回「忠臣蔵異聞」 |
米丸嘉一さん(地域文化)
「ひろしま文化功労者表彰」を祝う会
十日市きんさい学・講座で講演する米丸さん(三次市立十日市きんさいセンター)
|