ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)では、6月4日(日)まで、「卑弥呼の時代の備後南部」を開催しています。
今回の展示は、弥生時代後期を「卑弥呼の時代」とし、土器・墳墓・集落などの展示をとおして古墳時代を迎えるまでの備後南部の社会の様子を紹介します。
[第1章 新たな時代のはじまり−弥生時代ってどんな時代?−]
弥生時代には、大陸から伝わった稲作を本格的に開始したことで、生活様式や道具の形が大きく変化し、稲作に関わる新たな道具も使用されるようになります。
写真1は、大宮遺跡(福山市神辺町)から出土した弥生時代前期の弥生土器です。これらは、備後南部でも弥生時代の早い時期に、稲作が開始されたことを物語っています。
この章では、弥生時代の特徴的な道具を展示し、当時の生活の様子を紹介します。
[第2章 卑弥呼の時代の土器]
弥生時代後期になると土器の形は地域色が強くなり、備後南部の土器は、周辺の安芸南部や備後北部の土器とは違う形となります。土器に見られるこうした地域性は、同じ形の土器を使う地域の結びつきが強くなった結果と考えられ、ムラやクニが生まれたことを示しています。
写真2は、弥生時代後期前半に備後南部で作られた土器で、「神谷川式土器」(かやがわしきどき)と呼ばれる肩の張った鉢形土器や壺形土器が特徴的です。
この章では、備後南部・安芸南部・備後北部の3つの地域の土器を弥生時代後期の前半と後半に分けて展示し、土器から見た地域性を紹介します。
[第3章 卑弥呼の時代のムラと墳墓]
弥生時代後期には、稲作による食料生産力に支えられて、備後南部でも多くのムラができます。ムラでは稲作に関わるマツリが行われ、またムラの近くには墳墓も作られました。
写真3は、御領遺跡(福山市神辺町)から出土した器台形土器・壺形土器(左)と貝ヶ原遺跡(尾道市御調町)から出土した特殊器台形土器(右)です。器台形土器は、集落のマツリに使う土器で、特殊器台形土器は、弥生時代後期の終わりごろ、器台形土器が大型化し、首長墓でのマツリの道具として備中で作られるようになった土器です。
この章では、ムラや墳墓、そこで行われたマツリの様子から見た備後南部の社会について紹介します。
(ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)主任学芸員 中山愉希江)
「卑弥呼の時代の備後南部」平成29年度春の展示
【会期】平成29年4月28日(金)〜6月4日(日)
【会場】ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)(福山市西町2-4-1)
【開館時間】9:00〜17:00(入館は16時30分まで)
【休館日】月曜日(5月1日は開館)
【入館料】一般290円(220円)、大学生210円(160円)、高校生まで無料
※( )内は20名以上の団体
【問い合わせ先】ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)084-931-2513
■関連行事はこちら→「卑弥呼の時代の備後南部」関連行事 |
写真1:弥生時代前期の土器(広島県立歴史博物館蔵)
写真2:弥生時代後期の備後南部の土器(福山市教育委員会蔵)
写真3:器台形土器・壺形土器(左)と特殊器台形土器(右) (写真はすべて複製。原資料は広島県教育委員会蔵(左)、尾道市教育委員会蔵(右))
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