平成29年度「ひろしまの遺跡を語る」が、1月27日(土)に、県民文化センター(広島市中区)で開催されるんだ。主催者の公益財団法人広島県教育事業団 埋蔵文化財調査室の伊藤さんにお話しを伺ったよ!
ブンカッキー(以下、ブ):まずは、「ひろしまの遺跡を語る」って、どんなイベントなんですか?
伊藤さん(以下、伊):「ひろしまの遺跡を語る」は、当室の前身の財団法人広島県埋蔵文化財調査センターが1987(昭和62)年から始めた広島県内の遺跡の発掘調査の成果を、県民の皆さんにわかりやすく解説する講演会で、今回で37回目になります。講演会では、学界をリードする研究者とともに、当室の担当者や県内の発掘担当者が、県内で発掘された関連する遺跡について、発掘調査の成果を映像などを交えて解説し、より深い理解が得られるように工夫しています。
ブ:今回のテーマは「瀬戸内から考える邪馬台国とその時代―魏の使いは瀬戸内海を通ったか?―」だけど、瀬戸内・広島にも邪馬台国の時代の痕跡はあるとは、正直考えたことがなかったから、びっくり!!素朴な疑問、なぜ広島に?
伊:今回のテーマ、邪馬台国の時代は、九州と近畿でその所在地論争が盛んですが、瀬戸内にもこの時代の遺跡や関連する出土品がたくさんあります。もし邪馬台国が近畿地方なら広島の沖の瀬戸内海を中国の使いは船で通ったし、かならず広島や愛媛の港にも立ち寄ったはずです。九州にあったとしても、この時代の文化は、瀬戸内を通って、近畿地方などに伝わったのです。
所在地論争はまだまだ続きますが、この時代の人々は、瀬戸内にもたくさんいて、様々な活動を行っていました。その様子を、遺跡から見つかった出土品などから、考えてみます。
ブ:謎多き邪馬台国は、ついついその場所がどこだったのかが気になっちゃうけど、要人や文化の通り道だったと思うと、なんだかちょっと誇らしい!それでは、最後に今回の聴き所や楽しみ方を教えてください。
伊:広島県内から見つかった中国・後漢時代の鏡や邪馬台国の時代の大型船を描いた土器、鉄の道具をたくさん副葬した広島市内のお墓などの報告とあわせて、この時代の研究の第一人者・愛媛大学名誉教授の下條信行さんによる、この時代の西部瀬戸内のお話は、きっと皆さんの興味をかきたてるに違いありません。
ブ:伊藤さん、ありがとうございました!ボクたちの広島でも土器や鉄、お墓まで、数多くの邪馬台国時代の痕跡が発見されているなんて!なんだか素敵!今回お話を伺った伊藤さんも出演されるから、みんなぜひ聞きに行こう!遺跡ってすごいなぁ〜。
【平成29年度「ひろしまの遺跡を語る」瀬戸内から考える 邪馬台国とその時代―魏の使いは瀬戸内海を通ったか?―】
日程:平成30年1月27日(土)10:00-16:00
会場:広島県民文化センター多目的ホール(広島市中区大手町1丁目5-3)
聴講無料・申込不要
お問い合わせ:公益財団法人広島県教育事業団 埋蔵文化財調査室
〒733-0036広島市西区観音新町4-8-49
電話082-295-5751
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