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ふくやま草戸千軒ミュージアム「芸備の文人たち ―知の世界に遊ぶ―」

掲載日:2020年9月15日
 本展示会は、江戸時代半ば(18世紀〜)以降、数多く登場した「文人」という人々をテーマにしています。彼らは儒学や歴史などの高い知識・教養を背景に、漢詩や書画を作るなど、文化の担い手として重要な位置を占めていました。この展示では芸備地方の文人たちを中心に、その活動や交流を紹介します。なお本展示会は令和2年度春の展示として開催する予定でしたが、昨今の新型コロナウィルス感染症拡大防止のため延期し、秋の展示としたものです。

 展示する資料をいくつか紹介します。
 写真1は、頼春水が書いた「風い(ふうい)」の書を版木に起こし摺ったものです。頼山陽の父親である頼春水は広島藩の儒学者として藩の教育に携わった人物で、書の大家でもありました。また「風い」とは、風に立つさざ波という意味です。春水の日記によると、この字のもとである「風い」の額を神辺の江原某(えばらぼう。「江原家のひと」という意味)という人物に贈っています。額を得た江原某は文字の内容に合わせたのか、庭に池を作ったそうです。文人 頼春水の字が当時の人々によって、大事にされていたことが分かります。
(「風い」のいの字は、左からさんずい+けものへん+奇)
 
 写真2は、春水が使った印章です。書画を作る文人にとって印章は大事なものでした。なぜなら、印を押すことは自らの作品の証明でもあったからです。印章は自作の物もありますし、時に他の文人からプレゼントされた物もあります。写真のものは、大坂の文人 葛子琴(かつしきん)が作り、親友であった春水に贈ったものです。

 写真3は、福山藩阿部家第4代藩主であった阿部正倫(あべまさとも)が描いたものです。正倫は老中など幕府の要職を務め、藩政改革にも取り組んだ人物で、同時に狩野派風の絵を得意とした文化人でもありました。この絵は、後に劉邦(漢の初代皇帝)の軍師となる張良(ちょうりょう)が、黄石公(こうせきこう)のわざと落とした履物を拾い、それがきっかけで兵法書を授けられたという中国の故事が描かれています。この故事は大業を挙げたいならば忍耐が必要であることを示したものとされ、藩主時代に大規模な一揆が発生した正倫にとって、この絵は自らの戒めとして描いたものだったのかもしれません。

 展示では、この他にも文人たちが残した作品を紹介します。本展示が、「文人」という存在について知っていただく機会になれば幸いです。
(ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)学芸員 伊藤大輔)

「芸備の文人たち ―知の世界に遊ぶ―」 令和2年度秋の展示
【会期】令和2年9月18日(金)〜11月8日(日)
【会場】ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)(福山市西町二丁目4-1)
【開館時間】9:00〜17:00(入館は16:30まで)
【休館日】月曜日(9月21日は開館)、9月23日(水)
【入館料】一般290円(220円) 大学生210円(160円) 高校生まで無料
※( )内は団体20名以上の料金
【問い合わせ先】ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館)084-931-2513

写真1:頼春水筆「風い」(版本)(広島県立歴史博物館蔵・重要文化財菅茶山関係資料)


写真2:頼春水の印章(頼山陽史跡資料館蔵)


写真3:阿部正倫画「黄石公張良図」(個人蔵・広島県立歴史博物館寄託)