毎年、ヒロシマの祈りを国内外に告げる「平和の鐘」が初めて打ち鳴らされたのは、1947年(昭和22年)8月6日の第1回平和祭(現・平和記念式典)でした。この初代平和の鐘は、旧海軍払い下げの鐘でしたが、数年後に盗まれて行方知れずになりました。
1949年(昭和24年)の第3回平和祭で鳴らされた2代目平和の鐘は、被爆した鋳物師の有志が立ち上がり、焼け跡の金属を鋳込んで制作し、広島市へ寄贈したものです。今も当時の姿のままで、中央公園の片隅に静かに佇んでいます。被爆の記憶を刻むこの鐘が、鎮魂と平和を願って鳴らされたのはたった一度だけで、66年もの長い間歴史の片隅に追いやられていました。焦土の中から生まれた平和の象徴を、このまま風化させてはいけないという思いを同じくした有志が、被爆70年の2015年(平成27年)に実行委員会を立ち上げ、8月6日に小さな祈念式を開き鐘の音を復活させました。この会が、私たち「響け!平和の鐘実行委員会」です。現在の会員は15名です。毎年8月6日に祈念式を開催し、今年で10年になります。
平和記念式典で鳴らされる鐘は現在5代目の平和の鐘ですが、この他にも広島市や全国各地、また世界中に「平和の鐘」があります。市内では、平和記念公園の一角にある広島悲願の会の「平和の鐘」や世界平和記念聖堂にドイツから贈られた4個の「平和の鐘」が良く知られています。また比治山の西麓にある多聞院の「八時の鐘」は毎日8時15分に欠かさず打ち鳴らされており、鐘には「NO MORE HIROSHIMA'S」の文字が鋳込まれています。国内では、同じ被爆地である長崎にある浦上天主堂の「アンジェラスの鐘」や平和公園の「長崎の鐘」、また北海道から沖縄まで多くの「平和の鐘」があります。海外では国連本部にある「日本の平和の鐘」や広島市の姉妹・友好都市に広島市から贈られた「平和の鐘」などがあります。
現在実行委員会では、これらの鐘を一冊の本「ひろしまの平和の鐘」にまとめ、大学や県内の公立図書館に寄贈する事業に取り組んでいます。春には出版しますので、是非手にとって読んでいただければ幸いです。この活動とあわせ、今後とも8月6日の祈念式を継続し、鐘を打ち鳴らし続けることで、当時の鋳物師が2代目平和の鐘に込めた「ヒロシマの心」を後世に語り継いでいきたいと思います。
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2代目平和の鐘
2代目平和の鐘の完成時の写真(1949年)
2代目平和の鐘・第1回祈念式(2015年)
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